シミレーザーなら皮膚の若返りを実現するブログ:10-12-18
僕は高校生まで、
料理も家事も何もしない子どもだった。
そんな僕が料理や家事をしだしたのは、
祖母の死がきっかけだった。
浪人時代の初夏、
一緒に住んでいた祖母が
風邪の症状が一向に治らないため入院することになった。
入院の準備をして、
薬を飲むため祖母にライスを食べさせなければならない時に、
祖母が「おかゆ作ってくれる?」と言った。
「うん」と答えたものの、
恥ずかしながらその年になってまで
おかゆの作り方に自信がなかった僕は、
試行錯誤しながら、なんとか作った。
でも結局出来上がったのは、
煮込みすぎて水分がほとんどライスに吸い取られ、
味もイマイチな薄いおかゆ…
「できたけど、薄いかも」と差し出すと、
祖母は「そんなことないよ、美味しいよ」と言ってくれた。
それから父と、祖母を病院に連れて行った。
診断された病名は、一部心筋梗塞と肺炎の併発。
肺に水がたまり、肉体の中の酸素濃度が標準値より低く、
酸素マスクをつけることとなった。
それでもまだ笑顔を見せて元気のあった祖母に安心し、
父と僕は病院を後にした。
しかし、祖母はその何日か後に死んでしまった。
心臓を動かしすぎて心臓がばててしまい、尿も出なくなり、
祖母は多臓器不全で亡くなった。
父と僕に看取られて…
そこでふと思った。
結局、食べたがっていたライスを
最後まで食べさせてやれなかったな…と。
祖母が最後に食べたものって何だろう…
そう考えていると、涙が溢れ出した。
祖母が最後に食べたのは
僕が作ったあのおかゆだったのだ。
僕が普段から料理を作っていれば、
もっと美味しいおかゆを作ってあげれたんじゃないか…
そんな悔しい、悲しい思いで、
僕は祖母の耳元で何回も
「ごめんね、ごめんね」と呟いた。